No.62 1997年度龍谷大学ラグビー部

 試合を見ること、と、特定の選手/特定のチームを見続けること、は、ど
う違うのか。そしてある選手/あるチームを応援する、ということ、それは
一体どういう事なのか。しばらく前から考えています。ふと考え始めただけ
なのに結構難しくて、明快な答は出ませんが、考える過程で、色々思い浮か
んだ事がありました。その中の一つ‥或る思い出話‥を書きたいと思います。
 冬のオフに、大学のラグビー部員達が信州へスキー(スノボ)をしに来て
我家へ泊まる。毎年の恒例行事となったこの“学生さんのお宿ボランティア
(?)”、始まったのは今から15年程前、龍谷大学のT1君、T2君、S君、K君
が“元祖”でした。プラス◯◯君、という年もありましたが、この4人が不
動の顔ぶれで、毎年「今年もお世話になります!」と元気良くやって来た(
他にそんなに毎年のように来た人って殆どいません)。とても気持ちの良い
面々で、こちらも何となく彼らが来るのを楽しみに待つ気分でいたものでし
た。
 そんな彼らが最上級生となった年。
情も移って身内みたいに感じるようになっていた彼らの最後のシーズン、し
かも、S君が主将!「今年は‥」と楽しみに秋の開幕戦を見に行ったところ、
あっさり、無気力な感さえする敗戦。負け、という結果にというより、あま
りの覇気の無さに、こんなはずじゃない‥と苛立った私、勢い余ってS主将
宛に手紙を書きました。‥悔し泣きしている姿でもあればまだしも、何なの、
あの淡白な負け方、もっと気概を感じさせなきゃダメでしょうが! あんな
試合をするためにラグビーやってんのかアンタ達は、私達ファンだってあん
なプレーを見たくて応援してるんじゃない‥ みたいな、今思えば「よく言
うよな」の内容。今思えばだけじゃなくて当時だって無論「キツイ事書いて
るなー」と我ながらひるんだのですが、「いや、チームのため、S君達のた
め、を思って言うんだから、これは“愛の鞭”なのだ、うん」と自分を納得
させ肚をくくって投函しました。
 2日後(くらい)。電話のベルが鳴り、父が出た。
「もしもし‥、ああ、Sくん」
たまたま近くに居た私はドキッ、と固まる。(怒鳴りこみ? まさかね。「
この間は見に来てもらって有難うございました、激励のお手紙もいただきま
した、頑張ります」って電話かな‥)一瞬の間に頭の中が目まぐるしく回転
する。「ん? かよこ? ここにおるよ」「かよこさんに代わって下さい、
って言うとるで」受話器を差し出す父。私は‥もう頭は真っ白、顔は真っ青。
(‥ひ、ひえー。ご、ごめん。そ、そんなつもりやなかったんよー。怒らん
といてー)‥どこが、肚をくくって投函、だ。僅か2、3歩をよろめきながら
進み受話器を受け取ってへなへなしゃがみ込み、そして恐る恐る「‥もしも
し‥」。
 ‥まるで昨日の事みたい。あの日の電話、かなり正確に再現できると思い
ます。けれど大切にしまっておきたいから(秘めた恋の思い出、のようです
ね)、一言一言の全ては書きません。
 そう、S君は、私の“いい試合をしてほしい、勝ってほしい、勝って彼ら
自身が喜んでほしい、喜んでいる彼らが見たい” という気持ちを、ちゃん
とわかって受けとめてくれた。秘めた恋―のように、ずっと心にしまってあ
る言葉、一つだけ書きとめます。
      「残りの試合全部勝って優勝します。見てて下さい」

 半月後、微かな不安がよぎっては消え、立ちあらわれては拭われ‥を繰り
返す事で期待をより高める、そんな効果を狙ったかのように開幕戦から長い
日数があいて行なわれた第二戦。龍大は、強敵の大体大相手に1点差で勝利
をもぎとった! もう、不安なんて吹き飛んだ。そしてチームは第三戦、第
四戦、と白星を重ねました。 五戦目は京産大※に完敗。(「残りの試合全
部勝つ」はこの時点でおじゃんになってしまった)けれども、約束違反だな
んて少しも思わなかった。ただ、次の試合、同志社戦に「絶対勝つ!」と祈
る、ううん、信じる気持ちだけがありました。
 そしてその同志社戦は、私と弟の間でいまだに何かというと「あの時は‥」
と口に上る“伝説の試合”となった。
「あの時は」―
「笑いが止まらんかったな」と弟。
そう、龍大ファンにとっては、まさに溜飲が下がる思いの会心のゲーム。
そして、単に愉快、痛快、嬉しい、楽しい、だけじゃなくて、私にとっての
「あの時は」―
「残り全部勝って優勝します」と力強く言ってくれたキャプテンと、彼が率
いるチームの皆が、(錯覚であるとはわかっているものの)まるで「見て下
さい、これが俺たちだ、俺たちのプレーだ」と私に示し応えてくれているか
のように感じられた、サポーター冥利に尽きる80分、でした。

※この年の京産は非常に強く、大学選手権2回戦では早稲田に50点の差をつ
けて圧勝しています。準決勝で、箕内拓郎主将を擁し悲願の初優勝を達成す
る事になる(そしてここから黄金時代を築く事になる)関東学院とぶつか
り38対46で惜しくも敗退(因みにに決勝は関東学院30対17明治)。尚、龍
谷は選手権1回戦で法政と当たり敗退。法政は決勝に進出した明治の前に10対
14の僅差での負け。各校の力加減をこうしたスコア等で判断する限り、龍谷
は例えばこの年の早稲田とならば当たっていたら勝ったと思われる、選手権
出場16チームの丁度中くらいの実力だった気がします。もしも1つ勝ててさ
えいれば勢いづいて波乱を巻き起こすような躍進をしてくれたかも、と思え
て少し残念ですが、「もしも」は想像してもしょうがないですね。

 あれ以降ももちろん、面白い試合、興奮の展開、驚嘆のプレー、胸に迫る
光景‥ラグビーを見る中で、沢山の「うわーっ」にめぐり会ったけれど、
「あの時」の宝ケ池の試合ほど、あの試合に至る数週間ほど、「頑張れ!」
と一生懸命応援する気持ちをストレートど真ん中で返球してもらった事、こ
ちら側とあちら側とが“つながった”ように感じられた事、はないし、多分、
これからもないのだろう。
 今迄そう思うと淋しくてちょっと凹んでいたのですが、よく考えたら、そ
れだけ幸せな経験ができたんだという事ですよね‥。
 「あの時」から10年以上たってしまったけれど、97年度龍谷大学ラグビー
部、そして柴田秋生主将(名前出しちゃったけど良かったでしょうか)、
あらためて、ありがとう。                    

                        
                           2008/10/08 佳
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