No.63 『私を「花園」に連れてって』
昔々『私をスキーに連れてって』という映画がありましたが、今日は
題して、『私を「花園」に連れてって』。
(安曇野ラグビースクール用語辞典より)
花園に連れて行って :
1)花園ラグビー場で開催される全国/準全国レベルの中学生大会に、
スクールのメンバーが県選抜選手等として出場する際に使う。
用例:今年◯◯君が花園に連れて行ってくれる、来年は◎◎君達に花園
に連れて行ってもらおう
2)花園ラグビー場で行なわれる全国高校ラグビー大会(いわゆる“花
園”)に出場するスクール出身者を応援しに行く時に使う。
用例:絶対県予選に勝って花園に連れて行ってね
* 注釈 2)が本来の用法であるが、稀なケースのため、通常
は1)の場合に用いる事が多い。
と辞書にもある(?)通り、かつては、中学大会、即ち1)の用法で
年中行事として使っていた言葉なのですが、数年前から様変わりしてし
まいました。中学大会の参加システムが変わって、甲信越のスクールの
出場大会が『花園』ではなくなったり、又『花園』を目指す事はできて
もそこまでに数段階を経なくてはならない制度となって長野県選抜チー
ムが『花園』に辿り着く事が難しくなってしまったりしたためです。
今のところ“みなと君”が県選抜になった時が、花園に連れて行って
もらった最後だなあ。
その後“こうき君”(みなと君の弟)と“ヒロちゃん”(Nコー
チのご子息)の二人が選抜になった年の大会の会場なんて「辰巳の森海
浜公園ラグビー場」ですよ。失礼、江東区に恨みがあるわけでもない
し、辰巳の森、立派な公園でしたけど、でも、でも‥(すすり泣き)。
もっと前、初めて長野県で選抜チームを作った年も大会の会場は花園
ではなかったけど、代わりにどこだったかと言うとなんと秩父宮。この
時「私を秩父宮に連れてって」(ちょっと語呂が悪い)くれたのは“ち
あき君”。引率として選抜遠征にくっついて行った私は、普通の事のよ
うに秩父宮ラグビー場のピッチに立って(観客席じゃないところが今思
うと貴重)ちあき君やチームを見ていました。これから毎年のように誰
かが「私を秩父宮に連れてって」くれるものと、深く意識せず思い込ん
でいたんですね。‥が、初めて、と書きましたが、正しくはあれが最初
で最後。以来、ピッチに立つどころか秩父宮に連れて行ってもらえる機
会などなくなってしまった。“最初で最後の秩父宮”(もちろん秩父宮
ラグビー場へはその後何度も行っていますが)は、ちあき君やこの年の
県選抜チームのメンバーの思い出が色々あって忘れ難い記憶(そーだ、
そこで慶応中学の野沢君を見たんです。すごく印象に残った選手だった
のですが、まさか15年位のちにアルウィンで一緒に写真に入って
もらう事になるとは夢にも思わなかったな‥笑)だけれど、とりあえず
秩父宮は置いといて、と。
『花園』。
初めて私を「花園に連れてって」くれたのもやっぱりちあき君でした。
しかも 2)の用法で。
ちあき君は、我がスクールが出来た年のメンバーで、当時小学
2年生から6年生まで集まってくれた子供達の中でまだ4年
生だったのに初代キャプテンになってしまった不思議な人です。
そんな彼が中学卒業後に進んだのは、長野県の“花園常連校”岡工(岡
谷工業高校)。思い出すなあ、夏の菅平合宿に張り切ってちあき君の応
援でベルニナに泊まりがけで行ったっけ(余談ですが、工大高/常翔学
園の宿舎もベルニナ。岡工の応援で泊まっていた時、私のご飯の時間は
工大高の子達と同じで、「なんだ、岡工と同じ時間じゃないのか」と悲
しがっていた。しっかり周りを見とけば「松原君の高1の姿」な
んてのも記憶に残ったかもしれないのに、もったいない)。
さて、ちあき君は岡工へは遠距離通学だったので辛かっただろうしご
家族も大変だった事だと思いますが、3年間頑張りました。彼が
3年生になった年も岡工は順調に県予選を制して「花園」出場を決め、
本大会の1回戦も順調に突破。シード校が登場する2回戦で
強豪伏見工業と対戦しました。この試合、ちあき君に「花園に連れてっ
てもらって」(と言っても実際には自分で電車に乗って行ったんです
が)いた私の前で、ちあき君は途中出場して奮闘、試合終了間際に、な
んとトライを決めてくれたんです。花園の第一グラウンドで伏工相手に
トライをあげるなんて経験、誰もが出来る事じゃないですよね。善戦及
ばず敗れましたがホント素晴らしかった。今更ながら拍手、です。
ここからはちょっと今日の本題とははずれますが、伏工についてもぜ
ひ書いておきたいと思います。岡工を下した伏工はこの後勝ち進んで久
我山と劇的な決勝戦を演じる事になるので。
劇的な決勝、と呼ぶ理由は幾つかあって、村上晃一さんがこの決勝を
きっかけに『ラグビーマガジン』の職を辞してラグビージャーナリスト
になったのは知られていますし、私自身の「花園」というのも(ちあき
君が出場した、という理由も大きいけど)この年度から割としっかりあ
る(=それ以前は全くあやふや)。そして、何と言っても、この決勝、
テレビで見ていた私の祖母(もう亡くなりましたが)が、「‥なんか、
涙が出てきた」と終盤、目を押さえて見ていた、そんな一戦なのです。
スタンドで見守る斉藤キャプテン(ケガで無念の戦線離脱)の想いを
背負った久我山フィフティーンがゲームを圧倒的優位に支配し、戦前の
予想を裏切る一方的な展開で進んでいた決勝は、しかし、大差がついて
からの伏工の反撃で、人が転職を決意する程の、ラグビーを知らないお
ばあちゃんが心を揺さぶられる程の、劇的な様相を呈してくる‥。
「結果」は久我山の見事な優勝だったのですが、あれから10年
以上たっても脳裏に鮮烈なのは、やはり伏工のメンバーの姿。遠い点差
なのに、走り続けた真紅のジャージ。もう追いつかない、なのに、その
トライが逆転優勝のトライであるかのようにゴールラインに飛んだウィ
ングの山本君。表彰式の間、涙を見せるでも無くただひたすら沈痛な表
情だったスタンドオフの今村君‥。悲しくて少し美しく、切ない、痛い
ような記憶の断片。
ところで、ますます本題からはずれるのですがこの時伏工の
CTBだったのが重光君(近鉄)。ちあき君が2回戦でトライをあげ
た時にトイメンだったのが多分彼、だと思う(ゴール前からちあき君が
突っ込んで、止めに入った相手をそのまま押し返すようにしてトライし
たというイメージなんですが、トイメン云々は「後から考えたらそう
だったのかな」にすぎないので、違ってたらご免なさい)。なんで突然
重光君に言及するかと言うと、今日カントー対法政を見てたら、解説の
村上さん(国内試合の放送は副音声がないので主音声にしてある)が、
「“伏工のSO”って独特ですよね、近鉄の重光選手もいかにも伏
工のSOだなあ」みたいな話をしていたので。ちゃうちゃう! 重
光君、伏工の時はセンターやん! と‥。
重光君がSOになったのは龍谷大学入学後。そう、花園メインス
タンドで対決したちあき君と重光君は、龍大ラグビー部で“チームメー
ト”となるのでした、ジャーン(←?)。
ちあき君の応援に白馬の夏合宿を見に行った時に、星野監督(当時)が
重光君に手取り足取りSO指南をしておられ、「ひゃーすごーい、
重光君、SOの英才教育中やねえ(星野氏は元ジャパン
SO)」と我家では大いに騒いで期待したものでした。で、“その後の重
光君”の話も幾つかはあるのですが、これ以上今日の本題から離れるわ
けに行かないので、話を戻しましょう。
と思ったけど、戻す前に脱線ついでに上述のカントー対法政戦につい
ても触れておきます。いや「ついでに」なんて失礼な気がする程、見事
な試合。技術が、というより、気迫の面で。
この試合については(重光君を“伏工のSO”と呼んだ事は除い
て)村上さんのコメントがほぼ私の感想と一致していたので、しつこく
書くと真似を言っているみたいになりそうだからやめますが、とにかく
両チームとも、スピードと運動量にも感嘆したけど、意識の上で逃げな
い点、あくまで攻めまくる姿勢が素晴らしかった。見ていて非常に気持
ちの良い試合でした。後半25分くらいからは、この試合の「勝
ち」「負け」なんて(リーグ戦にとっては非常に大きい事だけれど)も
うどうでもいいなと思いながら見てました。村上さんの“伏工の
SO”言及発端の文字君(No.17参照)は、これ迄見てきた限り結
構まだ好・不調の波の激しいところがあるみたいなのだけれど、今日は
絶好調。それで尚かつ「文字で勝った」といった内容じゃないのが法政
のすごさ。全員が、負けるまいという闘志を剥き出しに走りに走った、
ひとえにその事による勝利でした。
で、カントーはというと、たまたま今日は勝者にならなかったという
だけで、ものすごく強い。直接の敗因となってしまったDFライン
の戻り、そこだけ修正すれば、前へ出る力はどこにも負けない(でしょ
う)、殆ど脱帽の気分で見てました。負傷退場した太田君(大丈夫か
な)にも目を見はったけど、キャプテン土佐君の能力、特にノーサイド
直前のDFでの働きに舌を巻き、Man of the Matchは彼やな
あ、と思っていたら、ロスタイム、ラストプレーで法政が逆転トライを
決めて勝ったので(必ずしも勝ちチームから選ばなくてもいいんです
が)、私的Man of the Matchは竹下君に。トライしたからじゃな
くて、逃げずに前へ、の姿勢を強くアピールしていた1年生の存
在は法政にとって大きかったと思うので。
でもね、この試合、誰それが、とか、速いうまい、とかいう事より、
負けない気持ち、切れない集中力、ともかく全力で前で出る、そういう
事の見本、恰好の教材、イメージトレーニングの題材、になるんじゃな
いだろうか、と感じました。うん、高校生、大学生は見るべきだ。自分
達に足りないものが(あるとしたら)何か、がわかって、「こういう試
合をしたい!」と思えれば、きっと違ってくると思います。
さて夜も更けてきました。急いで本題に戻らなきゃ。
昨日、全国高校大会の長野県決勝が行なわれ、今年は久々に飯田高校が
花園への切符を手にしました。前回飯田高校が花園出場を決めた年(ち
あき君の岡工が出場した翌年)は、“最初で最後の秩父宮”の時の県選
抜メンバー(当時中学2年生)が主力で、1回戦を突破して
臨んだ2回戦ではこともあろうに(笑)工大高と当たったのでし
た。当時も工大高のファンだった私は、飯田高校の皆に声援を送りつつ
工大高にも「負けるな」と祈るという非常に複雑な立場でした(笑)。
そうそう、あの時の花園では、先年亡くなられた上郷ラグビースクール
の篠田校長先生とご一緒に飯田高校を応援したんだよなあ‥などと、又
思い出していくとキリがない。
今年、飯田高校のキャプテンはヒロちゃん。久しぶりに花園に、用法
2)で行ける事になって嬉しい 「ヒロキくんに連れて行ってもら
う」花園で、又、思い出に残る試合を沢山見られればいいな。
2008/11/03 佳
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